評価:★★★(57)
TITLE | キノの旅 |
DATA | 2003年 |
目次
◆あらすじ。
「キノはどうして旅を続けているの?」
「ボクはね、たまに自分がどうしようもない、愚かで矮小な奴ではないか?
ものすごく汚い人間ではないか? なぜだかよく分からないけど、
そう感じる時があるんだ……でもそんな時は必ず、
それ以外のもの、例えば世界とか、他の人間の生き方とかが、
全て美しく、素敵なものの様に感じるんだ。
とても、愛しく思えるんだよ……。
ボクは、それらをもっともっと知りたくて、そのために旅をしている様な気がする」
――これは、人間キノと言葉を話す二輪車エルメスの旅の話。
◆多様な価値観に触れる旅。
『旅』を題材にした物語というものは、大きく分けて2つのパターンが存在する。
ひとつは、主人公が大いなる目的を持って、長い旅路を歩むという物語(『銀河鉄道999』や『西遊記』など)。そしてもうひとつは、はっきりとした目的地を定めずに放浪し、その先々で発見や事件に遭遇するもの(『狼と香辛料』や『トライガン』など)である。
本作は後者の部類に属している。なので、明確な旅の目的というものは存在しない。
目的のない旅だからこそ、巡る国々においてキノという人物は、そこで出会う人や風習に対して偏見から入ることをせず、中立的な立場を貫きつつ、独自の価値判断によって(時には過激な)行動をおこすことになる。
基本1話でひとつの国を巡るという短編連作型である。それぞれの国に特色があり、現代社会における問題点や風潮をシニカルにデフォルメしているのが特徴的である。
それらの問題提議や問題意識について、物語の中でキノが「こうである」と結論付けることはほとんどない。すべては観る側の受け取り方しだいであり(現実の旅でもそうであるように)、視聴者の感受性に結論を委ねている点が、『旅』を軸においた物語として評価が高い一因ではないだろうか。
キノという主人公は感情の起伏が少ない。
だからこそ上述したように、視聴者が(キノの)訪れる国を擬似的に体験できるし、キノよりも感情的に物語を感じられるのである。
このようなスタンスは原作者である時雨沢恵一による当初からの狙いではないだろうか。
アニシエもご多分に漏れず「ああ、たまにはのんびり気の向くままに旅がしたいなあ」とため息混じりに鑑賞してしまう。
主人公の設定もさることながら、全体の作りがノスタルジックであり、また不要な盛り上がりを極力排斥したスタティックな世界観を作り上げているからこそだろう。
◆専門用語の解説。
おすすめエピソードのレビュー前に、『キノの旅』におけるふたつの大事な専門用語を簡単に説明しておこう。本編を観ていればおのずと分かることではあるが、予備知識として知っておいたほうがより入り込みやすいだろう。
専門用語その1 <パースエイダー>
『キノの旅』に登場する銃火器はすべて<パースエイダー>と呼称されている。
語源は英語の「persuader」。
説得する人、という意味合いの言葉である。そこから派生した俗語として、銃や刃物を持って脅すことを指すようになった単語である。
劇中の<パースエイダー>には、それぞれ実在する銃火器をモデルとしたデザインとなっているが、地球とは違う惑星という設定のためか、実際の正式名称では語られることはない。
専門用語その2 <モトラド>
簡潔に説明すると「思考し、喋ることができるバイク」のことである。
より正確には「思考し、喋ることができる二輪車で空を飛ばないもの」ということになるらしい。
『キノの旅』の世界では、モトラドの他に犬も喋るし、戦車も喋る。さらに言えば、これら同種のものであっても、まったく喋らずに地球と同じく機械として動くだけのものも存在している。
<喋る機械>や<喋る動物>といった存在は、珍しいものの、この世界においては超常的な不思議さはない。
本作をより幻想的に演出しているこれらの用語のおかげで、無機質な銃や乗り物にファンタジーとしての統一感が与えられ、ひとつの世界観ができあがっている。
原作はライトノベルでありがなら、どことなく絵本や寓話のような柔らかい印象を与える一助になっている。
◆心に残るエピソード。
本作は基本的に1話完結型の旅物語である。
さらに全体の時系列が(必ずしも)順序立てて進んでいるわけでもないので、全体を通した物語の感想を述べることが難しい作品である。
ということで、以下はアニシエが「面白い」「印象に残った」エピソードをかいつまんでレビューしていく。
第4話『大人の国』
主人公キノが、キノと名乗ることになったエピソード。
人が誰しも一度は考える「なぜ、大人にならなければいけないのか?」という問題。そして大人とは一体なんなのかを考えさせられるエピソード。
そして、なにより「キノって実名じゃないんだ!」という真相が語られる印象深い回である。
第5話『レールの上の三人の男』
深読みすると、非常に奥行きのあるエピソードである。
「仕事とはいったいなんなのか?」ということを考えさせられる物語である。
ともすれば、レールの上で働く三者三様の姿は、現在の都市文化そのものであるようにさえ感じられる。
個々に意味がある仕事だとしても、全体として不毛な作業の繰り返しであることに気付かされる俊逸なエピソード。
この三人がそれぞれ終点までたどり着いたとき、きっと同じことをする三人が出発点から進みだすのであろうと想像できる。
仕事とは、大局的にみて本当に意義のある行為なのか?
たとえば都市を作り出し、それを発展させ、古くなった建物を取り壊し、そしてまた新しい都市の形ができあがる。
さらにそれがまた老朽化して……と、全ては結局同じことの繰り返しなのである。
だれかが必要としている……その誰かとは、おそらく特定できないほどぼやけた大衆としてのイメージだけである。
だからといって、何もしないわけにもいかない。仕事はあるし、生活だってかかっている。
普通に生きていれば疑問にさえ感じない問題を、じつに的確な寓話として描き出している。
第12話『平和な国』
人間の本能としての闘争心と、理性としての平和主義が葛藤した結果、そこには『平和な争い方』という矛盾の塊のような方法が誕生する。
しかし、それは国として守るべき平和であり、全世界がすべて平等に平和でいられないことを極端なシチュエーションで描くシニカルなエピソードとなっている。
一見すると「こんな極端な国はないだろう」と思ってしまうのだが、じつは自分の国以外の情勢を見てみると、あながちフィクションであるとは言い難い部分があることに気づく。
我々が消費する大半の物資は(日本ではとくに)海外からの輸入品である。
安価な輸入品を手にすることができ、生活に困ることが少ない日本は、それなりに平和を享受できている国である。少なくとも、貧困や暴動、ましてや戦争などで命を落とすことはほとんどない(貧困に限って言えば、まったくないとは言えないが)。
より安価な商品を作るため、企業は物価の安い国で工場を作り、仕事がないよりはマシという程度の給金で、その国の労働者を働かせる。
利益を生まなければ、そもそも企業で働く日本人たちの生活が成り立たないわけだから、これは仕方のない措置であると言わざる得ない。
形は違えど、やはり我々だって途上国を利用して平和で安定した国を維持しているのだ。
大量に他民族を虐殺するということはしないまでも、どこかの国の経済的犠牲の上に成り立っている平和が存在するということを痛烈に感じさせる物語である。
あまり深く考えると鬱になるかもしれないくらい、深刻な問題だ。
このエピソードが極端に話を振り切っているのは、観ている人がリアルに感じすぎないためのバイアスなのかもしれない。
多感な時期に観て、色々と感じてほしい作品。
『キノの旅』のレビューで「教育上よろしくない」とか「残酷な描写が多く、救いがない」といった類のレビューがたまに見受けられるが、たしかにしっかりと受け止めて、そこに含まれている現実世界へのメタファーとしての示唆を教えられるような大人がガイド役をつとめなければ、そういう意見も出てくるだろう。
小学生が単独で観るべきではないと思うが、いろいろな価値観に触れた方がよい中高生であれば、むしろ視聴することをおすすめする。
各エピソードが、「なぜそのように終わるのか?」ということを考えることができれば、これほど有意義な映像作品は滅多にないだろう。
◆脇を固めるアニシエの好みの声優陣。
キノを演じたのは女優の前田愛。声優として初めての役柄である。
放映当時は、その不慣れな声の当て方に賛否両論あったようだが、個人的にはキノという人物の中立的なスタンスをよく表現し、かつユニセックスな雰囲気もしっかりと演じていると思う。
彼女の演技がどうこう、というよりも、そもそもキノというキャラクターを演じるのはけっこう難しいんじゃないだろうか。
と、声優でも役者でもないアニシエが言っても説得力はないですが(笑)。
キノの相棒であるモトラドのエルメスにも役者である相ヶ瀬龍史が声を担当している。
無機質だが人懐っこい、おしゃべりなバイク、という無茶苦茶な役ではあるが、聞き慣れてくるとしっくりとくる声質である。
こちらも、やはり放映当時は賛否が分かれる配役だったらしい。
古今を問わず、声優という職業に専業的プロ意識をもった人(別に前田愛や相ヶ瀬龍史がいい加減にやっているというわけではない)で作品を作ってもらいたいと思うアニメファンは多いのだろう。
アニシエもどちらかといえば、劇場版などでゲスト参加するタレントに眉根を寄せるタイプのアニオタではあるが、個々人の役者が精一杯その役に挑んでいて、さらにそれが監督の意図した効果を発揮しているのであれば、「なかなか悪くないじゃないか」と溜飲を下げるタイプでもある。
声優の力量もさることながら、演出としてのキャスティングがしっかり考え抜かれているのであれば問題にはならないと思っています。
まあ、そうはいっても視聴者は単純に好き嫌いで選んだっていいと思いますけどね。
エルメスをはじめとして『キノの旅』では機械や動物が人語を話すことがある。
第6話~7話『コロシアム』前後編で登場した『陸(りく)』という名の犬を大塚芳忠氏が演じている。この人は何を演じても「それっぽい」感じになるから不思議である。
第9話『本の国』では立木文彦が戦車の役で声を当てている。
第4話『大人の国』では、大人のキノ役を井上和彦が演じている。
『Ζガンダム』のジェリド役のようなイジワル野郎から、今作の役柄のように柔和なお兄さん役までなんでもこなすイケメンキャラ要員である。いい声してますよね、ホント。
◆余談。ライトノベルの夜明け。
原作であるライトノベル『キノの旅』が発表されたのは2000年。
この時代、ライトノベル界の本流としては、まずはじめにファンタジー系の隆盛があり、次に学園モノ、そこに非日常的な異能バトルやSFアクションを組み込んだ広範な日常学園系が台頭しはじめていた頃である。
硬派なファンタジー小説(『ロードス島戦記』など)に端を発していたライトノベルは、しだいにギャグ要素を取り入れて、シリアスな中にも笑いが含まれるような現実世界を舞台とした作品がスタンダードとなっていった時代に、『キノの旅』はまったく異質な新基軸として書店に並ぶことになる。
それまでのハイテンションが当たり前だったライトノベルの世界観から、スタティックな旅路を淡々と進んでいく異世界の物語というスタイルは、本流を読み飽きてきた読者にとって新たな刺激となった。
しかし、あくまで多数はハイテンション型ライトノベルのファンであった。
しかし、どちらか一方に流れが傾くというよりは、多様性を好む若い世代の読者によって共存できる環境が自然に整えられていった。
ちなみに『ライトノベル』という単語が浸透しはじめるのも、この頃である。
え? もっと前から言われてなかった?
『スレイヤーズ』とか100%ラノベでしょ?
という人も多いだろうが、じつはこの単語の社会的認知はけっこう遅いのである。
諸説あるが『ライトノベル』という単語がはじめて世に出たのは1990年頃、まだインターネットをパソコン通信と呼んでいた時代である。
同好の士によるフォーラムが開設され、そこのタイトルに『ライトノベル』という単語が使われたようである。
しかし、一般的にはこの単語が浸透するまで『コバルト系』やら『スニーカー系』やらと、出版社のレーベルで呼ばれることの方が多かった。
話を戻すと『キノの旅』が発売された頃から、ライトノベルはさらなる多様性を生み出し、もはや面白ければなんでもあり、な状態へと突入する。
珠玉の傑作が生まれる中、人気作品のいいとこ取りをしたパチものみたいな作品も多数出版される。
……どれとは言いませんが。
2010年以降になると、個人のオリジナル小説を投稿するサイトから人気のあるものが書籍化されるという流れが起きはじめ、2019年現在でも定着している。
『小説家になろう』という投稿サイトからはじまったムーブメントであり、一般的に『なろう系』と呼ばれる作品がそれに当たる。
アニメにもなった代表作としては『Re:ゼロから始める異世界生活』『この素晴らしい世界に祝福を!』や、厳密には『なろう系』ではないが、自身のサイトでオリジナル小説として連載していた『ソードアート・オンライン』といった、一大ブームを起こしたキラーコンテンツが多数存在する。
これまでの出版業界と同じく、ある作品が爆発的にヒットすると、その亜流のような作品が雨後の竹の子のようにニョキニョキと出てくることになり、『なろう系』では80%近い作品が『異世界転生モノ』で埋め尽くされてしまっている状況である。
しかしまた、読者がお腹いっぱいになってくれば、いずれ『なろう系』からも新基軸なライトノベルが生まれて、『キノの旅』のような新たな流れを作り出しうる作品も生まれてくるだろう。
出版不況と言われる時代であっても、紙媒体にこだわらなければ『物語』というものはいつの時代においても大きく廃れるということはない。
アニメ・ゲームと深いつながりをもつライトノベルがまだまだ隆盛であるということは、未来のアニメ作品においても、それほど悲観することはないと考えているのだが、いかがだろうか?
◆総評。
閑話休題。
その昔、原作を1冊だけ読んだことがある。
そのときに感じたことと、総評はたぶんほとんど同じだろう。
どこか郷愁を誘う風景の中、ひとりの少女と一台のバイクが様々な国をめぐる旅をする物語。
原作を読んだキッカケは「まあ、なんとなく」といった程度で、前情報で期待に胸を膨らませて読んだわけではない。
アニメも、最初は「まあ、なんとなく」と言った感じで観はじめるのだが、あれよあれよとズルズル最後まで観てしまうという不思議な感覚の作品だった。
早撃ちの天才でもあるキノだが、決してドンパチを主体としない作り方には、タイトル通り『旅』をテーマにしているという、ブレない作者のこだわりを感じさせて好感がもてる。
ひとつだけ難を言えば、どの国のエピソードも、たいがい途中で展開が読めてしまうということ。謎めかした分だけ拍子抜けしてしまうので、それならば不可思議で永遠に理解できない人の心という部分にもっと焦点を絞っていったほうがアニシエの好みではあった。
とはいえ、30分で完結させるには、ある程度の「わかり易さ」は必要だというのもわかる。
それならば30分枠で2~3話続ければいいんじゃないかな、とも思ったが、これを書いていて「そこまで引っ張ると、あの作風だと中だるみするよなあ」という理解に達する。
良くも悪くもバランスが取れている。原作者の意図もしっかりと汲み取っている作品だということは間違いない。
2017年にはアニメ化第二弾『キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series』が放映された。こちらはまた改めて視聴したときにレビューしようと思います。
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