FILE:001 機動戦士ガンダム劇場版三部作

評価:★★★★★(85)

TITLE  劇場版 機動戦士ガンダム(三部作)
DATA   1981年 1981年 1982年

 

あらすじ

宇宙世紀0079——スペースコロニー“サイド3”はジオン公国を名乗り、新開発の人型機動兵器モビルスーツ“ザク”を実戦に投入して、地球連邦に独立戦争を挑んできた。その結果、戦争は人類の半数以上を死に至らしめ、両陣営は今や膠着状態に陥っていた。

地球連邦軍は起死回生のため、新型モビルスーツ“ガンダム”の開発に成功。だが、辺境のコロニー“サイド7”へガンダム受領に向かった宇宙戦艦ホワイトベースは、ジオン軍の精鋭シャア・アズナブル少佐の巡洋艦ムサイに追跡されていた。偵察に向かったシャアの部下の一人ジーンは、軍功を焦ってザクによるガンダムへの攻撃を開始し、サイド7は大混乱に陥った。戦火に巻き込まれたサイド7の少年アムロ・レイは、隣人たちの危機を見てガンダムの操縦席へ乗りこみ、起動する! かろうじて2機のザクを破壊することに成功したアムロだったが、それは長い戦いの始まりに過ぎなかった。

 

※引用元「機動戦士ガンダム劇場版 公式サイト」より。

 

◆『ガンダム』を観たことがない人へ。

もし、まだ『ガンダム』と銘打たれている作品を一度たりとも視聴したことのない人がいるならば、あまり込み入った内容の記述というのは、ないほうがいい気がする。

 

というのも、まったく内容を知らない人に地球連邦軍とジオン公国軍との歴史的背景やら、人物相関図的なことを説明したとして、おそらくそれが本当に面白さを伝えることになるとは思えないからだ。

 

個人的には、映像を見ながら合わせてセリフが言えるくらいの回数を観てきた。

なんというか、事あるごとに、ついつい観てしまうのである。

 

自分でDVDもBDも揃えているというのに、なぜかアニマックスで放送される、とか知ってしまうと、条件反射で録画なり視聴なりしてしまう。もはや病気と言っていいだろう。

 

このような段階まで行き着いてしまうと、もはや内容が面白いかどうかは関係がなくなってきて、ある種の儀式めいたルーチン行動となり果ててしまっている。

 

つまり、そうしないと精神的に気持ち悪いのだ。困ったものである。

◆TV版もあるんだけどね。

まったくの初見で観る人にとっては、本当にどうでもいいことだし、まったくオススメできる視聴方法とは言い難いが、個人的に最もガンダム熱がヒートアップしていた時期というのは、どうしても劇場版とテレビ放映版を見比べたりして、その違いなんかを精査したり、「おや、けっこう声優陣が持ち回りでモブキャラの声をやってるんだな」などという当時の声優という職業における人材不足を感じたりして、この作品を取り巻く環境なんかも想像しつつ観るまでになってしまう。

 

21世紀にもなって、ことさらに、今さら初代ガンダムをTV版・劇場版の両方を一気に観よう、と思える人も少ないだろう。

 

すこし興味があって「ちょっと観てみたい」と考えているのなら、劇場版を視聴した方が無難だろう。

 

その後、どっぷりとガンダムにハマってしまった人にだけ、TV版をあえて観るという順番をオススメしたい。

 

 

なぜか?

 

 

それは、いずれTV版のレビューを書くときに詳述しよう。

まずは劇場版で間違いないです。

 

◆当時の熱気

劇場公開当時、まだ年端もいかない子供だったアニシエは、ガンダムのロボットとしてのカッコ良さは認識していただろうが、そのストーリー性まではまったく理解が及んでいなかった。

 

 

ただ、漠然と記憶しているのは、異常なくらいガンプラが流行って、夕方のニュースで塗料やセメダインを使うさいに換気をしてください、という特集が流れていたことや、劇場において行列が建物の外側に2重3重となって連なっていたことである。

 

 

アニシエが人生で最初に手にしたガンプラはゴッグだった。当時ガンダムやゲルググなどは大人気でよほど早起きしてオモチャ屋で整理券をゲットしない限り手に入れられなかったのだ。

 

映画館へは親に連れてきてもらって(常に満席で席には座れなかったので)階段の部分にレジャーシートを敷いてスクリーンに魅入っていたことを鮮明に憶えている。

 

 

当時の映画館には、整理券という制度もないし、1上映ずつの入れ替え制というものもなかった。

席がなければ立ち見が当たり前だし、子供連れは特権的に階段部分で座って観れていたという、自由な空気があったのも確かだ。

 

◆人はガンダムと共に成長する。

そんな子供だったアニシエがイヤイヤ期や反抗期や思春期を経て、ある程度の社会的分別を持ち合わせた頃に、改めてガンダムを観たとき、衝撃が走るのである。

 

そこにある人間臭いドラマ。正義の味方である連邦軍の内部の腐敗。そしてジオン公国では親族同士で権力争いが繰り広げられているのである。

 

 

誰だってこう思うはずだ。

 

「なんでコレを子供が観る時間帯にやってたの?」

 

小学校低学年生が観て理解できる内容ではない。

 

にもかかわらず、幼少期の頃から鮮烈に記憶され、その思い出を補填するかのごとく定期的な再放送があり、その度に少しづつ成長していく子供たちが、また新たなファン層となって育っていったのだ。

 

そう考えると、スゴイ作品である。

 

古き良き時代の、洗脳とも呼ぶべきマス・マーケティングである。

 

この刷り込みの成果は絶大で、初回放映時の視聴率は、どんなに高くても10%以下だったのに対して、再放送・再々放送では最高視聴率29%を叩き出すというモンスター・コンテンツへと変貌する。

 

もちろん、この背景には視聴者側の録画設備の不安定さもあるだろう(ビデオデッキがある家の方が珍しい時代だ)。

 

それにしても、雑誌と口コミくらいしか評判を広げる媒体がない時代で、これだけ一つの作品にファンが集約されて、ムーブメントとなるというのは非常に興味深い。

 

なぜ、ここまでアニメファンに愛される作品としてガンダムは育っていったのだろうか。

 

 

◆そこには熱意があった。

よりリアルな『戦争』を表現した世界観。

 

登場する主人公は、当時の視聴者層と密接にリンクする『内向的な普通の若者』

 

アニメの常識であった『熱血志向』も『派手な必殺技』も『勧善懲悪』も存在しないガンダムという作品は、異端児でありながら、観る者の多くの心を捕らえて離さなかった。

 

今までにないアニメーション作品を作る。それは子供ではなく、少年以上大人未満の、アムロたち主人公と同じくらいの年代に向けたジュブナイル・アニメーションの確立を目標に作られていったのだ。

 

最初の放送では打ち切りと言われるほどに低迷していたものの、数年後に息を吹き返すという事実が、如実にその目的を明確に表していると言えるだろう。

 

つまり、絶対的な視聴者数が足りなかった初回に比べ、アニシエ同様、アニメ好きな子供が、アニメファンとなり、マニアへ。そしてオタクへと成長するにつれて、その都度再放送を目の当たりにし、次第にガンダムのストーリー性に引き込まれていく人の数が増えていったのである。

 

劇場版では、最初の一作目で制作が終わってしまうという懸念から『パート1』とか『第一部』といった表記をあえてつけなかったし、たとえ一作で終わっても作品として完結できるような作り方をしていた。

 

だが、視聴率とは裏腹にガンダムを求める(子供ではなく)若者は、予想よりもはるかに多かった。

 

スポンサーはターゲットを子供ばかりに絞っていたせいで、その爆発的な人気を初動で捉えることができなかった。

※これには逸話があり、当初実験的な要素を含む本作品に出資してもらうべく、スポンサーには「子供向けのアニメ」だと説明していたらしい。

 

結果として、ガンダムは『大人でも観れるアニメーション』という地位を確立し、さらにはリアルロボット・アニメーションという今日では当たり前となっているリアルなミリタリズムを構築しているSFアニメとして不動の地位を築いていった。

 

全ては、より多くの人に作品を観てもらいたいという制作スタッフの熱意が実現させた偉業である。

 

現在では親子二代でガンダムを楽しむ家族も存在するくらい、後に続くガンダムシリーズ作品はアニメファンを引きつけている。

◆SFアニメの温故知新。

その後の、SF考証の精度を上げていくアニメーションの作品群の中において、初代ガンダムの内容というのは、どちらかといえば、非常にチープな印象を受けるかもしれない。

 

じっさい、古今を問わず視聴しているアニシエから観ても、とてもじゃないがSFとは呼べないような設定が多数散見している。

 

でもまあ、そもそもアニメというジャンルそのものが『見立て』によって成り立っていることを考えれば、それは些細なことであり、脳内でどうとでも補完できる事柄である。

 

「厳密な科学的見地から見れば、とうてい有り得ない」というような論争があったりもするのだが、そもそもフィクションである。

 

なにも目くじらを立てて、その整合性を糾弾する必要なんてないんじゃないだろうか。

 

根本的な問題は、ある作品に対する『設定』や『ストーリー性』について、個々人の中で、それを許容できるかどうかにある。

 

アニメの見方は自由であって、視聴後の感想や意見も賛否両論、玉石混交でいい。

 

自分と同じ考えを持つ人、あるいは自分が気づかなかった視点で語っている人、そしてまったく受け入れられなかった人……ひとつの作品で、様々な想いが表出することこそ、それだけ影響力のある作品ということになるのではないだろうか。

 

なにより、今なお活発な議論が交わされるような作品なんて、そう何作もあるわけじゃない。

 

スタッフがガンダムに与えた『熱』は、まだもうしばらくは冷めそうにない。

◆レビューはどこへいった。

初回に書くべきは、自分にとって最も影響力ある作品にしようと思い『ガンダム劇場版』をチョイスした。

 

繰り返しになるけど、内容について書くよりも、ガンダムを観たことのない人が「どうしてガンダムってこんなに有名なんだろう?」という素朴な疑問に対するアニシエなりの思い入れと、時代背景を踏まえてここまで長々と記述してきた。

 

ガンダムには作中のリアルさもさることながら、『ニュータイプ』という人類の革新についての神話を作り上げたことの功績も大きい。

 

人と人とはもっと分かりあえる、という進化の確信を抱きながらも、それが戦場という極限状態でしか発現しないという人間の不完全さを、その後のシリーズを通して描き続けていく。

 

はたして、いつ全人類はニュータイプへと覚醒するのか。

 

その答えはシリーズを通していまだに語られてはいない。

 

おそらく今後も語られることはないだろう。

少なくともニュータイプの力を戦争の道具として使われてしまう間には。

 

リアルさの中心にファンタジーが宿っている。

 

その不思議さが、ガンダムの一番の魅力だとアニシエは思っている。

◆大人になってから観るガンダム。

あと、これはアニシエの個人的環境の変化による新しい感覚なのだろうが、ベルファストでのミハルエピソードに思わず涙腺が緩んでしまった。

子を持つと、幼い子供を残して死ぬことが、本当に可哀想に思えるから不思議である。

 

気ままな独身の頃であれば、こういうお涙頂戴エピソードはかったるいので、あまり好きではなかったのだが、状況が変われば感情の動き方も変わってくるんだなあ……と、世代を越えて観るという楽しさを実感した。

 

◆まとめ。日本的なSF観?

今回、このレビューを書くために改めて見返してみて感じたことは、ガンダムの中のSF的テーマというのは、非常に日本的な感覚ではないだろうか、ということだ。

 

地球の重力に魂を引かれている地球人(アースノイド)」という一部のエリートが、頑なに地球を手放そうとしない、その土着的執着心は、いわゆるフロンティアスピリッツを根幹に持つアメリカ人などには、どう感じられるのだろうか? とふと考えてしまった。

 

フィリップ・K・ディックなど、海外のSF作家の小説を読んでいると、やはりどちらかと言えば、アメリカ人は古い地球よりも魅力的に見える宇宙という開拓地――あるいは別の惑星系の植民星――などに思いを馳せて、そこに憧憬の念を抱いている作品が多い。

 

国民性によるSF作品の違いを意識して、これからの作品を味わっていくことも一興かもしれないと教えてくれただけでも、この作品を(何十回目であろうと)観たかいがあったというものだ。

 

というわけで本作品は、後世に残すべきジャパン・サブカルチャーとしての重要文化財と銘打っておこう。

 


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