評価:★★★★(75)
TITLE | 甲鉄城のカバネリ(こうてつじょうのカバネリ) |
DATA | 2016年 |
目次
◆あらすじ。
世界中に産業革命の波が押し寄せ、近世から近代に移り変わろうとした頃、突如として不死の怪物が現れた。鋼鉄の皮膜で覆われた心臓を撃ち抜かれない限り滅びず、それに噛まれた者も一度死んだ後に蘇り人を襲うという。後にカバネと呼ばれることになるそれらは爆発的に増殖し、全世界を覆い尽くしていった。
極東の島国である日ノ本[ひのもと]の人々は、カバネの驚異に対抗すべく各地に「駅」と呼ばれる砦を築き、その中に閉じ籠もることでなんとか生き延びていた。駅を行き来ができるのは装甲蒸気機関車(通称、駿城[はやじろ])のみであり、互いの駅はそれぞれの生産物を融通しあうことでなんとか生活を保っていた。
製鉄と蒸気機関の生産をなりわいとする顕金駅[あらがねえき]に暮らす蒸気鍛冶の少年、生駒[いこま]。彼はカバネを倒すために独自の武器「ツラヌキ筒[づつ]」を開発しながら、いつか自分の力を発揮できる日が来るのを待ち望んでいた。
そんなある日、前線をくぐり抜けて駿城の一つ甲鉄城[こうてつじょう]が顕金駅にやってくる。車両の清掃整備に駆り出された生駒は、義務であるカバネ検閲を免除される不思議な少女を目撃する。
その夜、生駒が無名[むめい]と名乗る昼間の少女と再会するなか、顕金駅に駿城が暴走しながら突入してきた。乗務員は全滅し、全てカバネに変わっていたのだ!
顕金駅に溢れ出るカバネたち。パニックに襲われる人々の波に逆らうようにして、生駒は走る。今度こそ逃げない、俺は、俺のツラヌキ筒でカバネを倒す!
――こうして、本当に輝く男になるための生駒の戦いが始まるのだった。
※引用元『甲鉄城のカバネリ』公式サイト
※[]内は管理人による注釈。
◆一級品のジェットコースター・アクション
『カバネリ』の予告映像を観たとき、そのあまりに美麗な映像と胸躍る世界観に一瞬で魅了され、これは絶対に観ないといけない作品だと確信した。
時代背景は産業革命前後の文明レベルを持つ、日本に酷似した架空の国『日ノ本』が舞台。
江戸と明治の中間くらいの文明設定で、そこでは蒸気機関車が『駿城(はやじろ)』と呼ばれ、『屍(かばね)』と呼ばれているゾンビによって分断された町をつなぐ、唯一の交通機関となっている。
主人公の生駒(イコマ)とヒロインの無名(ムメイ)は屍に襲われ、駿城のひとつである『甲鉄城』へ乗り込んでの脱出劇を繰り広げる、というのが話しの筋である。
時代劇アクション、ゾンビ映画、脱出劇とロード・ムービー、そして和製スチームパンクな世界設定。
まったくもって嫌いな要素などひとつもない。
そんな作品が(アニシエにとって)つまらないワケがない!
簡潔に説明するならば本作は、最先端のアニメーション技術を結集して作られた、大衆娯楽活劇という王道スタイルの、極上エンターテイメント・アニメである。
◆オープニングから心を鷲掴み。
「貴様、人か? 屍か?」
「どちらでもない。俺はカバネリだ!」
というセリフでオープニングがはじまる。
これはそのまま時代劇へのオマージュとして受け取れる。
「控え控え! この紋所が目に入らぬか!」
とか、
「背中の桜吹雪、忘れたとは言わせねえ」など、
本来であれば時代劇の見せ場となるような部分を冒頭の曲と一体化させることにより、時代劇を観るときの「待ってました!」感を巧みに演出している。
本編で毎度まいど上記のような問答をされていたら興ざめになるところを、あえて冒頭に付け加えることで、一味違う時代物だということを感じさせてくれる。
リアリズムを前提とした作品ではあるが、王道(=大衆娯楽)であるという力強いメッセージでもあるような気がする。
主題歌はEGOISTによるオジリナル楽曲。
監督がギルティ・クラウンの荒木哲郎氏なので、起用されたと思われるが、その曲調にマッチした映像は流麗であり、毎回繰り返し観ても飽きがこないほどハイ・クオリティなオープニングである。
ちなみにEGOISTは、ギルティ・クラウンの中で登場する架空のアーティスト・グループである。
しかし、その音楽性がアニメファンに高く評価されて、他作品にも楽曲を提供しているという極めて稀な現象が起こっている。
カバネリという作品もさることながら、このオープニングだけでも一見一聴の価値がある。
◆アニメのキャラに『メイク担当』が存在する。
その可愛らしい美少女デザインに定評のある大ベテランの美樹本晴彦がキャラクター原案を担当している。
『超時空要塞マクロス』でロボットアニメ初のアイドルとなった伝説のキャラクター『リン・ミンメイ』は美樹本氏のデザインである。
カバネリでは、主要な美少女キャラは2人。それと半モブ的な地味系美少女が1人いる。
もちろん、地味専のアニシエのイチオシは、地味子である鰍(かじか)である。
そんな美少女キャラたちを、さらに可愛く、あるいは気高く見せるために、本作品ではキャラクターに対してメイクを施すという、TVアニメ初の試みがなされている(※静止画などのいわゆる『止め絵』に関しては以前から美化した描き方がされていたが、動画で同様の効果をつけるのは、本作が初の試みである)。
アニメーションのキャラクターにおけるメイクアップとは、この場合何を指すのか?
たとえばヘアメイク。
本作では髪の毛一本一本の質感を出すために手書きのブラシを加えて、より線の多い髪の毛を表現している。さらに明暗とぼかしを足して、ツヤのある髪を描いているのである。
目元にはアイシャドーを追加し、眉毛に関しても髪の毛と同等の処理を加える。
肌の色味も細かく調整され、頬にはチークを加える。
よくある美少女キャラが主体のラノベ系のデザインのような、頬にあからさまなピンク色の丸を描くといった、シンボリックな化粧ではなく、あくまで自然に、現実の女性が行うような質感を大事にしたメイクを施すことに徹底しているのだ。
ちなみに男性キャラにも相応のメイク処理がなされている。こちらは、より力強く、シャープに見せるための化粧であり、やはり生身の役者が行うような処理として描かれている。
驚愕なのは、これらのメイクを止め絵(静止画)で行うのではなく、あくまで動きのある動画において行われている、ということである。
すべてのシーンにおいてメイクが施されている、というわけではないが、それにしても膨大な量である。
アニメは基本的に、1秒間に24コマを動かすことで『動画』になる。その中で、動きを表現するためには絵の差分を考慮して最低でも8~10枚の絵を書く必要がある。
ということは、1秒間の動きのある絵の中で10枚前後のキャラ絵に同じような『メイクアップ』を施さないといけないわけである。
こればかりはパソコンでプログラムを組んで、自動で行う訳にはいかない。なぜなら機械には『キャラクターの美しさとは』という概念が存在しないからである。
つまり5秒の動画にメイクをするとなると、それだけで50枚近い絵に同じ効果を手作業で行わなければいけないのだ。
このこだわりは、なかなか他の作品で観れるものではない。
◆声優陣は若手を多く起用。
主人公の生駒を演じる畠中祐をはじめとして、カバネリでは多くの若手声優をキャスティングしている。
演じているキャラクターに近い年代を意識しているのか、『サバイバル』『リベンジ』といったテーマに即した配役なのかはわからないが、往年のベテラン声優の起用が少ない。
美馬の父親であり、金剛郭の将軍(つまり日ノ本における最高権力者)である天鳥興筐(あまとりこうきょう)役で大塚明夫が声を当てているくらいで、シブい声優ファンとしては、ちょっと寂しい気分ではある。
時代劇の要素を盛り込んでいる本作であるだけに、渋めの声優さんが多く出るかと思いきや、基本的には若手声優さんの比率のほうが多かった。
全編が逃亡劇であるだけに、若くて活きのいい声のほうが臨場感を出しやすいということもあるだろうし、これからのアニメ作品を牽引していく彼らの成長を期待してのキャスティングであるならば、これはこれで良いのかもしれない。
キャラクターと声質が合っていないなあ、と感じられる配役はなかった。やはり、隅から隅まで考え抜かれて作られている作品なんだなと、改めて実感する。
◆勝手な深読み。
これはアニシエの勝手な思い込みでしかないのだけれど、どうにもカバネリを観ていると、とあるアニメの名作が脳裏をよぎります。
そのタイトルとは、
銀河鉄道999 である。
あらゆる部分が、銀河鉄道999と真逆の対比という符号に合致するような気がしてならない。
たとえば世界設定。
カバネリが近世という過去の設定に対して、999は未来を舞台としている。
カバネやカバネリとなった者たちが、元の人間へと戻るために旅をするのに対し、999では生身の体から機械の体を手に入れるために旅をする。
そして、これらの旅の移動手段が鉄道である、ということ。
なんだかとっても類似しているように思うのだけど、この類似点に関するコメントは(アニシエが調べた限り)あまり誰も言及していない。
だからきっと、これはアニシエの勝手な深読みでしかないのだろう。
久しぶりに劇場版の銀河鉄道999を観たくなったのは事実である。
カバネリのウィキペディアを読んでみると、列車に関するファクターについては映画『スノーピアサー』の影響とある。
999は関係ないのである。そ、そうですか(恥)。
◆総評。
美麗なグラフィックを駆使して派手なアクションシーンが盛り沢山の本作ではあるが、その裏には人間のエゴを執拗に描いていく骨太なヒューマン・ドラマとしての見応えがある。
物語の中で、誰もがカバネから逃げることを考え、カバネに噛まれた犠牲者は切り捨てていくことが当たり前となっている世界で主人公の生駒ひとりだけが、偏見のない価値観を持って、歪んだ世界を戻そうと戦いに身を投じる。
生駒自身、カバネに噛まれたあとも自らを実験体として、意識を喪失してさまよい続けるカバネになることへ抵抗し、人間の意識を持ったままのカバネ(つまりカバネリとして)となった。
そして、もうひとりのカバネリであるヒロインの無名とともに、旅を続けていく。
驚異的な身体能力を誇る無名に、幾度となく助けられる甲鉄城の住人たちは、それでも事あるごとに無名をカバネリだから、という理由で排斥しようとする。
人の身勝手さは、恐怖心にその端を発している。作品の中で伝えたかったテーマのひとつではないだろうか。
様々なアニメレビューで「後半が急ぎすぎ」という感想をけっこう目にしたが、個人的にはそれほど極端な展開ではないと思う。
そもそも全12話である。
オープニングとエンディング、それに冒頭の回想や次回予告を抜いて考えれば一話平均20分。
全部で4時間くらいの作品だから、長編映画の前後編を観ていると思えば、ちょうど小気味良いくらいのテンポではないだろうか。
リアルタイムで毎週一話づつ観ていると、たしかに展開が急すぎるという印象も受けるかもしれないが、1~2日くらいで一気観する場合には気にならないと思います。
むしろスピード感が最後まで持続しているので、まさにジェットコースター・ムービーとして楽しく視聴できます。
一つだけ難点を上げるとすれば、主人公の性格が理想論すぎる傾向がある。しかし、本作のような救いがたい世界観においては、それくらいがちょうどいいのかもしれない。少しでもやさぐれてしまったら、最後に対峙する英雄・美馬と同じ方向性を持ってしまうだろうから。
個人的には★×5の高評価でも良かったのだが、戦闘シーンがけっこうエグいので、そういうのが苦手な方に配慮しての採点となりました。
アクション系が好きな方には絶対的におすすめです。
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