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◆アニメを観ながらご飯を食べるという至福。
マンガ『ぼく、オタリーマン』の作者・よしたに氏は、無上の喜びを感じる食事は『マンガメシ』と書いていた。
読んで字のごとく、マンガを読みながら食べるご飯のことである。
もちろんこの意見にはうなずける部分が多々あるが、僕個人としては『無上』であるメシとは何か? と問われれば、即答で(そして食い気味で)「アニメシ!」と答えるだろう。
現在家族や恋人とともに住みつつも、ひっそりとアニメを観ている同士諸君ならば賛同していただけるだろうが、
誰にも邪魔されず、好きなご飯を食べながら大好きなアニメをひたすら観る。
これこそが、アニオタにとっての『ご馳走』ではないだろうか!
想像しただけでヨダレものである。
だが、残念なことにアニシエの視聴環境はそんな至福の『アニメシ』を堪能できる環境にない。
結婚し、子供を授かるということは、少なからず自分のオタ成分を(大なり小なり)切り離すことに他ならない。
メンタリティがまだまだ発展途上である子供の教育上、観せるのがあまりよろしくない作品も多々ある。
社会的なモラルと分別がついてから視聴する、という作品の方が圧倒的に多いせいでもある。
そして、なにより教育熱心な我が家の大蔵大臣(注:マイワイフ)が、そんなアニシエの『贅沢』を許すわけもないのである。
一人暮らしの頃は、それこそアニメシが日常であったことを思うと、ずいぶん遠くへときたものだと、我が事ながら感慨深い。
ちなみに、アニメシで言う『好きなご飯』とは、なにも贅沢なご馳走である必要は全くない。
むしろ必要な要素は『手軽さ』である。
そして、なにより(栄養的によろしくないのは百も承知であるが)ファースト・フードが一番しっくりくる。というか、そういう状況下では無性に食べたくなる。
個人的なランキングで言えば、下記のようになる。
2位:ピザ
3位:おにぎり
4位:牛丼系
5位:コンビニ弁当系
共通するのはご飯を見ずに口へ運べることだ。
ハンバーガーかピザがもっとも望ましいが、配置を完璧に把握している弁当でもよい。
とにかく視覚はモニターへ注げることが大事なのだ。
こんなことを熱っぽく語っていると、「外で知人と食事する方が有意義だ」となんのヒネりもない無個性な正論を宣(のたま)う人が社会の中には一定数存在している。だが、「外で知人と食事する方が有意義だ」と思える人に該当する条件とは、
ロ)社交的な場が好きで、
ハ)世話好きか、格下相手にふんぞり返りたい人
くらいなものである。
その他大勢の意見としては
誘われたから行かないと社会生活的に後々めんどくさいので、義理を果たすためにそのろくでもない会へ出席している、ことがほとんどだ。
◆出張先でのこと。「寂しい?」 そんなワケねーだろ!
仕事の都合上、出張しなければならない事態がけっこうあり、こういうときこそ個人的にはアニメシのチャンスである。仕事でささくれ立った心を癒やす至福のエンペラー・タイムを発動させる絶好の機会なのだ。
だが、なぜか普通の人(=オタク的な趣味をあまり持ち合わせていない人)というのは出張になると妙にテンションを上げてしまう人がいる。けっこういる。
別にテンション上がって、ひとりでアチコチ行ってくれるなら、なにも問題はないのだが、そういう人物に限って集団行動が大好きだったりするから困ったものである。
4~5人での出張で、誰かひとりでもこういう人物が混じっていると、大体において集団行動が暗黙の了解的に決定されてしまう。
そこで理由もなく「いや、僕は別行動で」なんて言うと、みんながよってたかって「なんで?」責めをしてくる。
どうして仕事が終わったあとまで、同じ顔を付き合わせていたいと思えるのか? まったく理解できない。
その4~5人の中に絶世の美女(というか自分好みの女性)でもいれば、まだ心が揺さぶられる可能性もあるだろうが、全員が同年代のオッサンだったりした場合、
「それはいったい誰得なんだ?」というセリフが思わず喉元まで出かかってしまう。
自分が飲み食いしたわけでもないモノを割り勘で払わされる。つまり結果として割高になる。
ましてや他人の飲み物の注文をさせられたり、酒なんて一滴も飲まずに生きていけるのに他人の水割りを作らないと行けなかったりする社交の場という存在が、自分の理想とする至福の時間という定義にまったく当てはまらない。
ひとりでアニメを観ながらご飯を食べる。
知ってるよ。そもそも自分が社交的だなんて一言も言ってないよ。
望まない環境下でストレスを感じて食べる食事が幸福ですか?
別に仕事をいい加減にやっているわけではないし、仕事中に自分勝手な言動をしているわけじゃない。
単純に公私混同をしないで、オフはオフで自由にしようよ。ということが言いたいだけなのだ。
一緒に行動したい人同士で勝手に行けばいいじゃないか、と思う。
どうして「せっかくだから皆で行こうよ」となるんだろうか。
「せっかく」って、なに? その「せっかく」は「死なばもろとも」と同義語じゃないのか?
結局、自分も我慢して付き合うんだから、お前も我慢しろ、という理屈なのだ。
付き合い悪いんだからほっとけばいいのに、無理やり仲間に引き込もうとする行為は、いったいどういった心の作用なのだろう。
「いや、ホントに、自分適当にご飯済ませるんで、皆で行ってきてください」と言うと、
「そんなんじゃダメだ。お前のそういうところが心配だ」と連れて行こうとする人がいるが、
心配されている理由がズレているのに加え、本当の意味で自分を理解してくれていないことが如実に表れている言葉ではないだろうか。
むしろ、そのズレを理解してくれないお前の心の硬さが心配だ、と言ってやりたい。
社交的じゃないからと言って、他人と喋れないわけじゃないし、日常生活に支障をきたすほど常識がないわけじゃない。
ただ必要のない会話……たとえばプロ野球の勝敗やら芸能人のスキャンダルやら政治経済の心配など、無理やり話題を作り出して場を持たせないといけない、という空間そのものが好きではないし、時間の浪費にしか感じられない。
ましてや、仕事が終わってから仕事の話なんてしたくもない。
そんなもん、仕事してる時間にやれっつーの。
◆分かる人にしか分からない話ですよね。
村上春樹の著書に「説明しないと分からないことは、説明しても分からないものだ」という名言がある。
上述したような、アニシエの生き方に首を捻る人がいて「どうしてそうなの?」と聞いてくることがあるが、ここまで書いてきたようなことを説明したって、やはり伝わらない人には伝わらないのである。
言ってることはすべて理解できているのに、それでもその考え方に『?』とか『いや、それは違うぞ』という意味不明の集団心理を肯定する反論しか浮かんでこない人が大半である。
そう、説明しても分からないのだ。
なので、出張先でバラ飯(注:個人個人で食事をとること)になり、コンビニ弁当(おかず配置記憶済み)でアニメシを堪能したとして、それを話しても「寂しい」という意見しか出てこないので、翌日に「昨日何食べた?」と聞かれても「ホテルの近所でラーメン食べた。味はそこそこ」と、テキトーに言っておく。
理解してもらおうとも思っていないし、自分の幸福をひけらかす趣味もないのだから、これでいいのである。
うんうん。
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◆オタ属性の社会人(理系サイドならさらに)あるあるネタが満載。共感度100%です(笑)