FILE:024 機動戦士Ζガンダム

評価:★★★★★(85)

TITLE 機動戦士Ζガンダム(きどうせんし/ゼータガンダム)
DATA 1985年

 

◆あらすじ。

宇宙世紀0087年、シャア・アズナブルはクワトロと名前を変え、反地球連邦組織エゥーゴに参加していた。
潜入したコロニー「グリーン・ノア」で、彼はティターンズが開発した黒いガンダムを目撃する。

一方、カミーユは憲兵からの尋問中に起きたガンダム墜落の混乱に乗じて脱走する。ガンダムMk-Ⅱ奪取をたくらみ、再度コロニーに潜入するシャア。その戦闘のさなか、カミーユはガンダムMk-Ⅱに乗り込み、操縦を見事にこなしてしまう。それを目撃したブライトは、カミーユにアムロの再来を感じるのだった・・・。

引用元『機動戦士Ζガンダム』公式サイト

◆ガンダム地上波での正統なる続編。

現実の世界でおよそ5年。そしてガンダムの世界(=宇宙世紀)では一年戦争から7年が経過した世界。宇宙世紀0087年が舞台となる。

後に『グリプス戦役』と呼ばれる紛争を描く。

 

現実世界の時系列で言えば、『機動戦士ガンダム』が放映されたあと、実は再びスーパーロボット系のアニメへと立ち戻るという現象が起きていた。

 

この時代のアニメは、まだまだ完全にお子様向けというイメージが強く、リアルな戦争描写などを取り入れたガンダムの世界観は、商業的に不発に終わったせいでもある。

 

これについては、時代のマーケティングが甘かった面もあるし、それだけガンダムという物語が革新的すぎたという部分もある。

 

同じ放送枠で流された次の作品は『無敵ロボ トライダーG7』(1980)、その次に『最強ロボ ダイオージャ』(1981年)となる。

 

「え? トライダーG7ってガンダムの後だったんだ」と調べてみてびっくりである。

 

自分の曖昧な記憶では、どうしてもガンダムより少し前のアニメだったという気がしてならない。

 

個人の思い出からして誤差が生じるほど、ガンダムというアニメが鮮烈に記憶されていた証拠でもある。

 

だが、『トライダーG7』や『ダイオージャ』が放送されていた2年間の間で、じわじわとガンダムという作品に対する評価が上がっていく。主に中高生以上のアニメファン達(当時は女子からの人気の方が高かったという説もある)が、ガンダムの再放送を熱望し、さらにはガンプラ(ガンダムのプラモデル)が驚異的な売上を見せはじめる。

 

そして、劇場版アニメとしては驚異的な動員数を獲得した『機動戦士ガンダム劇場版三部作』によって、ようやくアニメは大人でも楽しめるという環境が整いつつあった。

 

こうして『戦闘メカ ザブングル』、『聖戦士ダンバイン』、『重戦機エルガイム』と、リアルロボットというジャンルが確立されはじめ(放送枠を別にすれば、さらに多数のリアルロボット系列のアニメが大量投入され)て、待望の『機動戦士 Zガンダム』が放送されるに至った。

 

◆序章としての『逆襲のシャア』。

第一話から最終話までをいちどきに、余すところなく視聴したのは、ずいぶん久しぶりのことである。
主な理由はガンダム(ファースト)と変わらないのでそちらを参照されたし。

 

ようするに環境と時代のせいである。

まだレンタルビデオというシステムに活気があった時代、もちろん『Ζガンダム』もビデオ屋には並んでいたが、飛び飛びで視聴していたとはいえ、(再放送による補完作業によって)全話は観ているし、他にも魅力的な作品は毎月のように現れるしで、若き日のアニシエにはどうにも50話をまとめて観ようとする気概が湧き上がってこなかった。

 

ということで今回改めて全話視聴して感じたことがある。

 

それは、この物語の主人公はカミーユ・ビダンではなくシャア・アズナブルだということだ。

 

物語全編を通してシャア(=クワトロ・バジーナ)の視点で見てみると、数々の迷いがそこには存在している。

 

ジオン・ズム・ダイクンの意志を継ぐ者としての葛藤。
赤い彗星として勇名を馳せたパイロットであるシャア・アズナブルとしての葛藤。
クワトロ・バジーナとしてエゥーゴに身を投じている葛藤。

 

シャア・アズナブルという人物は、超カッコイイ面と、じつはとてつもなくカッコ悪い面が同時に存在している、かなり人間味あふれるキャラクターなのではないか? というのが今回の視聴で一番大きく感じたことである。

 

とくに中盤の迷いっぷりは、ヘタレと言われても仕方がないくらい、弱々しい存在となっていた。

 

物語の中盤から後半にかけて、クワトロ大尉(=シャア)が与するエゥーゴの最高責任者であるフレックス准将が暗殺されたダカール会議にて、いよいよ彼は自身の行く先を決定しなければいけなくなる。

 

エゥーゴを背負って立つ覚悟を持って(あるいはアクシズと決別する覚悟を持って)ダカールの議場に立つまで、彼は結論を出すことに躊躇しているただの迷える大人でしかなかった。

 

このような人生の岐路における迷い、決断への苦しみなどは、現実のサラリーマン社会でも起こりうることである。

 

それはつまりファーストを観ていた中高生たちが大人になり、やはり同じような葛藤を抱く世代となったことへのメタファーであるように思える。

 

仕事上、責任重大なポストにつく者。あるいは勝手な行動をする者を諌めつつ、さらに部下となっている者を教え導いていかなかればならないことも多々ある現実の社会での生活。

 

そう、この物語はかつて子供だった大人が、シャアとともに成長していくための物語でもあるのだ。

 

奇しくも、『Ζガンダム』のタイトル候補には『逆襲のシャア』というサブタイトルが候補に上がっていたらしい。

 

戦争に翻弄される少年(カミーユ・ビダン)という主人公の他に、確かに本作はシャア自身の決断と成長の物語でもあったのだ。

 

◆それでもシャアは大好きだ。

『Ζガンダム』でのクワトロ・バジーナ(=シャア・アズナブル)は、とても微妙な立ち位置で、作中ではジレンマの連続に立たされている。

 

パイロットとして明確な戦いだけをしていればいい、というわけではないし、だからといって指揮官としてどっしりと座していられるほど戦況も人材も優位であるわけではない。

 

そんな迷いの中で最新鋭のサイコミュ搭載型モビルスーツ(キュベレイ)や最先端バイオセンサーを搭載しているモビルスーツ(ジ・O)2機を相手どり、ガンダムMK2のマイナーチェンジ(いわばΖガンダムの試作機)である百式で戦えば、惨敗を喫するのは自明の理である。

 

その後に本当の意味での『シャアの逆襲』が物語として登場し、伝説化したシャアの軌跡から続いていく『ガンダムUC』では象徴としてのシャア(=フル・フロンタル)がジオン軍を掌握するという『シャア・アズナブルの偶像化』へと繋がっていく。

 

じつは、あらゆるシリーズを通してシャア・アズナブルというパイロットの能力は、みんなが覚えているほど凄まじい力は持っていない。

 

被弾したり、的を外したりすることはしょっちゅうある。

 

単純な戦闘力だけで言えば、ふっきれたアムロや、成長したカミーユの方がよほど高い。

 

にも関わらず今日まで熱狂的なファンが(他のキャラクターを圧倒して)存在している理由には、その志の高さと、何度でも這い上がる精神的なタフさがあるからだろう。

 

かならず人の革新をもたらしてみせる。そのためには何がなんでも生き抜いてみせる。

 

そう願っているシャアのあくなき戦いは、他の主人公のように、自分の放送回が終わったらそれでおしまい、ではない。あがき続ける者としての戦いであるがゆえに、シリーズを越えてアニメファンを魅了するのではないだろうか。

 

◆敵対キャラも粒ぞろい。

シロッコの魅力について。

その他で語ることといえば、まずシロッコの再評価が挙げられる。

 

もはや見慣れてしまった『劇場版 新訳Ζガンダム』に比べて、原作とでもいうべき本作のシロッコは、かなり厚みのある面白いキャラクターである。

 

自らを歴史の立会人と称し、シャアとは別の思想を持って世界を導こうとしていた男。

 

フェミニストのように見えて、じつは女を道具として戦場で使い捨てる非道っぷり。そのくせ執着心は人一倍強く、他人に自分の所有物(=女)が奪われると、激情する。

 

男には好かれないタイプである。ですよね?

 

天才であり、野心家であり、世界を自分の意のままに操ることを楽しんでいた男。

 

世界をその手に欲してはいるが、自分が表立ってその権力の座につくことを考えていない男でもある。

 

そう、シロッコはあくまで世界のすべてをコントロールしつつ、それを(言わば神の視点から)傍観していたかったのである。

 

あらためじっくり物語を観ていると、シロッコというキャラクターはとても面白い設定だと思った。

 

劇場版では多くを語れないせいか、ただのスケコマシにしか見えなかったが、じつはガンダムのキャラクターとしては、けっこう新鮮なタイプではないだろうか。

 

なぜなら、シロッコはニュータイプの力を、自分の戦闘力ではなく他のベクトルへ向けた最初の人物かもしれないからである。

 

戦闘におけるニュータイプとしての力はあくまで補助的なものであり、彼の本当の目的は歴史や人の運命への、見えざる手による介入である。

 

人心を掌握し、時の流れを読み、思い描く歴史としての未来へと駒を進めるがごとく世界を操ろうとしたとき、彼は他者との感応という力を『理解力』ではなく『支配力』として行使しているように思える。

 

結果、他者との交感を主軸に据えたカミーユの力によって滅ぼされてしまうわけだが、ここまで自分の力を理解して使用しているニュータイプは稀有な存在だと言えるだろう。

 

やはりヤザンの悪役っぷりには痺れます。

さて、アニシエが最も愛してやまない、THE悪役! の代名詞であるヤザン・ゲーブルに関して言えば、じつは劇場版の方がキャラクターの厚みが出ているように思えた。むしろTV版ではキャラクター設定が薄い。

 

「図星じゃねえか。ねえちゃんよぉ!」のセリフは劇場オリジナルだったんだな。

 

 

それとバスクを裏切るシーンなんかも新訳の話であった。

 

というわけでその悪人っぷりは劇場版のほうがより的確に描かれていたような気がするが、なににせよ大塚芳忠さんの声が大好きなので、好きなキャラクターであることに変わりはない。

 

◆作画について。それほどひどくない。

 

作画に関してはファーストのような酷さはない。それだけアニメが進歩したということだ。

 

後半の作画は中々よかった。物語に熱中することさえできれば、今の時代であっても充分視聴に耐えうると思える。

 

とくにバウンド・ドッグの裏側をきちんと描いていたことに驚かされる。

 

 

複雑なギミックにもかかわらずきっちりその裏側を描写しているのは、この時代にしてはかなり力が入っている。

 

◆組織間の話が複雑なのは否めない。

そもそもの話として、壮大なガンダム・サーガを理解する際に最も必要なのは反復と情報収集である。

 

まだネットが普及する以前の話ではある。それぞれが独自の学習法に基づいて、この宇宙世紀に関する理解を深めていくのが、ガンダムを理解する最初の難関となっていた。

 

といっても、基本的には

再放送、あるいはレンタルビデオの普及により、コンテンツを何度も観るのが当たり前という風潮は前提としてある時代でもある。

 

視聴(初見)→アニメ雑誌などでの情報収集→再放送 or レンタルビデオで見逃した回を補完→さらなる情報収集→新たな事実確認のための視聴……。

 

という刷り込みに近い作業を経て、宇宙世紀の戦争史というものは頭に刻まれていくのである。

 

『ファースト』の頃は連邦政府に対するジオン公国という明快な対決図式だったのに対して、本作はそもそも地球連邦軍から派生した2つの勢力が最初に激突する。

 

反地球連邦組織として発足したエゥーゴと、連邦軍内部の特殊組織でありジオン残党刈りを目的とした武闘派軍団ティターンズである。

 

連邦軍内の一組織にすぎなかったティターンズは、やがて連邦軍そのものの実権を握りはじめ、暴虐の限りを尽くしていく。

 

そこへジオン残党の最大勢力でもあるアクシズが現れ、戦場は混沌としていく。

 

木星調査船団から帰還したシロッコは、やがてティターンズの総帥であるジャミトフ・ハイマンを暗殺し、その地位を簒奪(さんだつ)する。

 

アクシズとエゥーゴは共闘しティターンズを討とうとするが、さらに陰謀が巡らされ、状況が二転三転していく。

 

これらを一度観ただけで理解しろ、と言われてもなかなか難しい。

 

二度・三度と観て、ようやく事態が理解できてくるのだが、そのための最低予備知識として『ファースト』は観ておかなければならない。

 

どうしてこんな視聴者を突き放したような作品を観てしまうのかと言えば、ひとえに「ロボットがカッコイイから!」としか言いようがない。

 

もう一つ言えば「シャアは一体どうなっていくのか?」という興味も付随してくる。

 

時代の流れ、すなわち刻々と変わる戦況にとまどう少年パイロット、カミーユ・ビダンの成長と苦悩もさることながら、やはり一年戦争を生き抜いた英雄たちが、今度は自分たちが指導者となる立場になったとき、人はどのように動いていくのか、という人間ドラマが(複雑な組織構成であるがゆえに)細かく描かれている。

 

いささか冗長にすぎる部分がないわけではないが、この時代にまだ1クールや2クールでの制作体制はほとんどなかったわけで、スポンサーとの契約上、1年間みっちり放映するためには、余分なエピソードのひとつやふたつは必要になってくる。

 

それでも、前作である『ファースト』の登場人物や、MSVシリーズという、架空のモビルスーツであった存在の数々がアニメに登場したりと、当時のファンを魅了する要素はたっぷりと詰め込まれていた。

 

一年戦争を生き抜いたシャアやブライトをはじめ、アムロ、カイ、ハヤトなども本作には登場する。さらには子供だったカツが成長してパイロット候補生として戦場へと赴いていく。

 

放送当時は、それらの人物が出るたびに胸が熱くなったものである。

 

現代の若者に、同じような感慨が得られるのかどうかは分からないが、やはりロボット・アニメの代名詞ともなっている作品群ではあるので、興味を少しでも持っているのなら時間的に余裕のあるときにでも『ファースト』と合わせてじっくり観てもらいたい名作であることは間違いない。

 

◆主題歌について。ニール・セダカという人物。

 

放送当時からの熱烈なガンダム・ファンであればニール・セダカという人物の名を少なからず見聞きしたことがあるだろう。

 

当時まだハナタレ小僧であったアニシエは、ずいぶんあとになってから知ったことではあるが、このニール・セダカというアーティストこそ、Ζガンダムのオープニングとエンディングの楽曲を手がけた人物である。

 

23話までの『Ζ・刻をこえて』とエンディング・テーマである『星空のBelieve』については、ニール氏がすでに発表していた原曲を元に、日本語版へとアレンジされたものである。

 

原曲の曲名は『BETTER DAYS ARE COMING』と『BAD AND BEAUTIFUL』。

 

どちらもメロウな曲調で、前者はボサノヴァ風、後者は80年代ポップスの爽やかな楽曲である。

2018年現在であっても充分に聴ける完成された楽曲であり、古臭さは感じられない。

デジタル音源による楽曲が主体となっている昨今では、逆に新鮮ささえ覚えるほどである。

アニシエもニール・セダカのプレイリストを作成して、よく作業用BGMとして聴いている。

実にリラックス&集中できる名曲揃いである。

 

また、ガンダムを知らない60~70代のおじいちゃんであってもニール・セダカの名前と他の楽曲を知っている人はけっこういる(どちらかといえばポップスのアーティストとして音楽好きに知られている有名な人である)。

 

「自分、ニール・セダカとかけっこう好きですねえ」

 

なんて話すと、「ふむ……なかなか分かっているではないか」などと覚えめでたき事態になるかもしれないので、働き盛りのアニメファンにはぜひメジャーヒットした他の曲も合わせて聴くことをオススメする。

 

そんなニール・セダカが描き下ろして新規に(つまりΖガンダム用に)提供したのが

『FOR US TO DECIDE』という曲。邦題は『水の星へ愛を込めて』である。

 

森口博子の澄んだ歌声と相まって、今でもイントロが流れれば歌い出せるほど耳について離れない名曲である。ちなみに森口博子の芸能界デビューはこの歌からはじまっている。

 

ノリノリの『Ζ・刻をこえて』も、もちろん大好きだが、ちょっとリラックスしたいときには原曲の『BETTER DAYS ARE COMING』を聞く。

 

一粒で二度おいしいのである。

 

今でこそ有名なアーティストがアニメの主題歌を歌うということは、もはや当たり前のことになっているが、当時のアニメ業界では画期的な試みであった。

 

それも国内ではなく海外で活躍しているアーティストに依頼するということは滅多にないケースであったと思われる。

 

ガンダムがなにゆえ大人になっても視聴に耐えられるのかというと、こういった細かい部分に大人のエッセンスが入り込んでいて、いざ自分がその年代に達したときに気付かされるという2段階の楽しみが付加されているからだろう。

 

そう。一粒で二度おいしいのである。

 

 

◆隠れた強化人間! in 平壌。

 

強化人間と言えば、フォウ・ムラサメ、サラ・ザビアロフなど、数々の悲劇的な宿命を追ったキャラクターが多いのだが、そんな中でじつは知る人ぞ知るというレアな強化人間が存在する。

 

プロト・ゼロ?

 

いやいや、そんなGジェネ的なゲームから生まれたキャラではなく、じっさいに本編で紹介されている人物で、しかし名前と強化された施設の名称と顔写真くらいしか登場しなかった幻の強化人間が存在するのです。

 

36話『永遠のフォウ』の中で、カミーユがキリマンジェロの連邦軍基地内の端末から情報を得ようと操作するシーンがある。そのモニター上に伝説の強化人間が発見された。

 

 

その名は『キム・ケリン』

 

画面上では『韓国の平壌センター』に在籍と登録されている。北朝鮮の都市と韓国の国名が混在しているということは、宇宙世紀0087年においては、南北統一が果たされている、ということなのか? と、深読みできる面白さもある。

(※『国家』に対する定義は、じつはとても流動性のあるデリケートな問題であるので、ここでは深く言及しない。あくまで一般常識としての南北統一という意味合いである)

 

年齢は15歳。気の強そうな面持ちではあるが、キレイ系の顔立ちである。

 

いつかサイドストーリーかなにかで登場しないかなあ、と期待しているのだが今のところまったく登場しない(当たり前だ)。

 

もしかしたら『ガンダムUC』の懐かしMS大集合のシーンで、なんとなく登場してくれるのでは!

……と、期待していたのだが、やはり出てこない(当たり前だ)。

 

せめてアニシエが生きている間に、動いているキム・ケリンが観たいものである。

 

◆総評。

コマ送りで見る楽しみがあった時代。

ビデオテープの時代から(というか、ビデオ時代が全盛でもあったが)、アニメにはコマ送りで観る楽しみというものがあった。

 

たとえば爆発の瞬間なんかをコマ送りで再生すると、なぜか爆発物の中に美少女が写り込んでいたり、高速で移動しているシーンなどでは看板の文字で笑いを誘うような文句が書かれていたりする。

 

Ζガンダムでもキム・ケリンのような真面目な作り込みの他に、たとえば宇宙の漂流物の中やアーガマをはじめとする戦艦の内部モニターなどに隠れたメッセージがあったりする。

 

ビデオテープの解像度では判読不可能だったものも、ブルーレイ版などではそれらがバッチリ観えるので、全話のストーリーを楽しんだあとは、ぜひそれらの隠しメッセージ探しにも挑戦してもらいたい。

 

昨今の超美麗アニメでは決してやらない(あるいはやりたくてもできない)ような大人の悪ふざけが垣間見れるのも、昔のアニメの楽しい一面である。

いずれ書きたい『ガンダム』を網羅する総評。

『Ζガンダム』については、まだまだ語りたいことがたくさんありすぎて困ってしまうほどだが、概要とオススメのポイントと、ちょっとした豆知識でざっくり紹介する当サイトのスタンスでは、これ以上書くのは冗長にすぎるのでこの辺にしておきます。

 

いずれガンダム・サーガ特集のような記事をいくつかのエピソードにまとめて書いてみたいのですが、そんな手の込んだものを書ける時間的余裕はいつになったら訪れるのか……。

 

 


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