評価:★★★★(65)
TITLE |
機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY (きどうせんしガンダム/ダブルオー・エイティースリー/スターダスト・メモリー) |
DATA | 1991年 |
STORIES | 全13話 |
目次
◆あらすじ。
『ガンダム試作1号機』。コードネーム『ゼフィランサス』に乗って、これを迎撃しようとする主人公コウ・ウラキは、アナベル・ガトーの駆るガンダム2号機(サイサリス)に完敗を喫する。
核弾頭を搭載したまま奪われてしまったガンダム2号機を奪還すべく、コウは親友のキース、上官のバニングとともに、新造戦艦『アルビオン』で追撃していく。
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一方、ガトーはガンダム2号機を宇宙へと運ぶための、必死の逃走を続けていく。
ジオン軍の残党『デラーズ・フリート』が計画する『星の屑作戦』の成否は、ガトーの2号機にかかっていたのであった。
コウたちの追撃も虚しく、2号機は宇宙へと飛び立ってしまった。
戦場は地球から宇宙へと移っていく。
地上戦に特化しているガンダム1号機を空間戦闘用に改修すべく、アナハイム工場がある月面の都市フォン・ブラウンへ寄港するアルビオン。
コウはこの都市で、ジオンの敗残兵であるケリィ・レズナーと出会う。
ケリィのいまだに自分の誇りを見失わずに、戦うことを諦めていない戦士としての生き様に魅せられたコウは、彼が作り上げているモビルアーマーの組み立てを手伝いはじめる。
それがいずれ、自分と戦う相手であることを理解した上で、コウはケリィに対して敬意に値する『何か』を受け取ったという確かな実感があった。
換装が終わった『フルバーニアン・ガンダム』のトライアルは順調に終わり、アルビオンは出港しようとしていた。
しかし、そこにはガンダムとの決闘を望むケリィのヴァル・ヴァロが待ち構えていたのだった。
からくも戦いに勝利したコウは、月面都市をあとにする。
コンペイトウ(旧ソロモン要塞)での連邦軍による観艦式が間近に迫り、その哨戒任務についていたアルビオン一行は、ジオン軍のシーマ・ガラハウ艦隊と遭遇戦となる。
エース級の腕前をもつシーマとの戦いにも互角に戦い抜くほどの実力をつけたコウであったが、この戦いで上官であるサウス・バニングが戦死してしまう。
彼が死の間際に回収した敵兵のブリーフケースの中には『星の屑作戦』の全容が記されていた書類が入っていたのだった。。
観艦式を目前に控え、一向にガトーの消息を掴めないコウは焦りの色を隠せなかった。
散発的に現れて『デラーズ・フリート』へと合流しようとするジオン軍残党は跡を絶たず、その迎撃任務の連続に疲労も蓄積されていく。
観艦式当日。暗礁空域から密かにガトーの駆るガンダム2号機が出撃する。その目撃情報を耳にしたコウは、ガトーを追うためにコンペイトウへと急行する。
しかし、ガトーは一歩先に目標地点へと到達し、その機体に搭載されている核弾頭を連邦軍艦隊が集結した中心へと撃ち放つのであった。
奪われた2号機のよって核弾頭を撃たれたことは、そのままコウたちの負けを意味していた。
だが、コウは執念によってガトーを見つけ出し、最後の決闘を挑む。
激しい激闘の末、機体を放棄せざるえないほどのダメージを受けて、両者はガンダムから脱出する。互いに対峙したまま爆炎の中へと飲み込まれていくガンダム1号機と2号機。
連邦軍に甚大な被害を与えた『星の屑作戦』はここに終焉を迎えたかのように思えた。
その頃、コンペイトウとは別の宙域でデラーズ・フリートのシーマ・ガラハウ率いる艦隊が不穏な動きをみせていた。
シーマ艦隊は輸送中の無人となったスペースコロニーを襲撃し、これをジャックする。
その不可解な行動に疑問を感じたコウたちは、それがコロニー落としの布石であることを突き止める。
デラーズ・フリートの『星の屑作戦』がまだ終わっていないことを知ったアルビオンは、ガンダム3号機を受け取るためにラビアンローズへと向かう。
一方、アナベル・ガトーも最終作戦へ向け、アクシズ艦隊よりモビルアーマー『ノイエ・ジール』を受け取る。
シーマの策謀、デラーズとガトーの執念、そしてコウの意地がぶつかり合う最終局面。
ニナ・パープルトンはふたりの男の間で、その心を激しく揺さぶられていた。
コロニーが地球の引力に引き込まれ、その勢いを止めることができなくなる『阻止限界点』が目前に迫る中、それぞれの思惑が宇宙(そら)の中で錯綜する!
» END
◆ガンダムOVAの二作目。
◆良い部分・悪い部分がはっきりしている作品だと思う。
その後のガンダムにおけるバトルシーンを決定づけた、ひとつのメルクマールとして高く評価できる作品ではある。
すべて手書きで行われている作画のクオリティは、2018年の今でも充分に視聴に耐えうる水準を誇っている。
しかし、キャラクター周りのエピソードと、それにまつわる台詞回しには、(残念ながら)センスの欠片もない。だが、それゆえに『名セリフ』や『迷セリフ』が突出しているという、稀有(けう)な効用を発揮したという特異な現象があらわれている。
これについては、あとでまとめて記述する。
そんな愉快なキャラクター達とは裏腹に、全体を通して描かれている戦闘シーンと物語事態のSF考証、さらにはミリタリー的なディテールにおいては、抜群に素晴らしいものがある。
まあ、極論を言ってしまえばそれが全てであり、この作品を見返す理由もかっこいい戦闘シーンを見たいから、という以上の動機はあまりない、とも言える。
◆前作よりもさらにジオン贔屓(びいき)。
連邦軍キャラクターに壊滅的なセンスの無さが光る作品であるが(光ってはいけないモノであるが)、敵側(ジオン軍の残党によって組織されたデラーズ・フリート)の主要キャラクターであるアナベル・ガトーを含むジオン軍のカッコよさが再認識された作品でもあるだろう。
前作のOVA『ポケットの中の戦争』でも、主人公はジオンの新兵であるバーナード・ワイズマンであった。
『ファースト・ガンダム』のシャア・アズナブル以来、キャラクター自身の『戦う理由』が強く描かれるのはジオン公国の人物が多い。
なぜ、ガトーやシャアのように、しっかりとした設定を持ったキャラクターが敵側に多いのか?
少し深く考えてみると、そこには日本の国民性とマッチした物語の構造的な仕組みが見えてくる。
日本人としての国民性と、悪役がなぜカッコイイのかという問題。
これもまた、話が長くなるので後述させてもらう。
◆とにかくモビルスーツがカッコイイ!
今でこそ不動の地位を築きあげているメカデザインの巨匠、カトキハジメ氏が手がけた作品としても有名である。Mr.マクロスとして名を馳せている河森正治氏がデザインしたガンダム試作1号機(ゼフィランサス)のリファインを行い、さらにそれを発展させて後半の主役機であるガンダム試作3号機(ステイメン)をデザインしている。
また、明貴美加(あきたかみか)氏による『ガーベラ・テトラ』や『ノイエ・ジール』は、その後のガンダムと名のあるゲーム作品では必ず登場するくらい人気の機体となっている。
機体そのもののデザインの良さももちろんあるが、本作ではそれぞれの機体と、それを駆るキャラクターの相性のようなものが見事にマッチしている、という気がしてならない。
主人公コウ・ウラキが、その成長とともにゼフィランサス→フルバーニアン→デンドロビウムと、戦場の苛烈さを物語るように機体を変えていくタイミングなどもテンポよく展開していく。
また、ガトーの駆る、完全に悪者顔しているガンダム2号機(サイサリス)は、そもそも核弾頭を装備したMSを作るというジオンの設計思想がそのまま反映されている機体、という裏設定もある。
(※ゲーム『ギレンの野望』シリーズをプレイしたことがある人ならご存知だと思うが、核弾頭を積んだバズーカをザク用に開発するイベントなどがある)
裏設定という話で言えば、先述したガーベラ・テトラも実はガンダム開発計画における試作4号機である、ということになっている。個人的には一番カッコイイと思っているMS(モビルスーツ)。ちなみにガーベラの花言葉は『神秘』。なかなか捻られているネーミングである。
後半のバトルシーンでは、巨大MA(モビルアーマー)であるノイエ・ジールと、ウェポンコンテナ・システムという武器の塊と化したデンドロビウム(ステイメンが中央に配されてコントールする)との激しい戦闘や、ガーベラ・テトラとのスピード感あふれる戦いが連続し、セルアニメーションならではのカッコよさを観せてくれる。
こればかりは文字では伝えきれない迫力なので、まだ観たことのない人でガンダムに興味のある人にはぜひともご覧いただきたい。
◆テロリズムと復讐劇についての考察。
ある時期、本作におけるジオン軍(デラーズ・フリート)の将校たちの生き様に魅せられた人々が、いささか過剰にジオン軍を賛美するような風潮が広がったため、当然ながらの異論・反論がガノタ界隈で活発に行われた。
要約すれば「どれほどカッコイイ生き様だからといって、テロリズムを肯定するような意見はよろしくない」という反論である。
もちろん、それはそのまま正論であって、誰もテロリズムを称賛しているわけではないし、大義の前にひとりひとりの命は軽く扱っても良い、と思っているわけでもない。
しかしまあ、率直に個人的な感想を書かせてもらうと、
議論そのもののベクトルがおかしくないか?
と思っている。
たとえば「ルパン三世カッコイイ! 最高!」と言っているルパン・ファンがいたとして、では彼らがルパンを心酔するあまりに世の中で泥棒行為を行うか? という話である。
生き様のカッコよさと、その人物が行う行為とはまったくの別次元での評価である。
なんとなく『戦争』とか『反乱』といった舞台設定である作品について好意的な意見を述べると、その世界観を丸ごと肯定しているような捉え方をする人がたまにいるが、それは話のベクトルが完全にズレている問題である。
ヒューマニズムとしての現実世界からみた『戦争』に対する観念を、娯楽作品(=フィクション)の中で描かれている『戦争』に持ち込んでコトを論じるというのは、その発想そのものが野暮というものである。
なぜなら、フィクションを楽しみたい人というのは、それが正義漢であれ、悪漢であれ、そのキャラクターの生き様に共感したり、魅せられたりしたいだけなのだから。
ではなぜ、ジオン軍のキャラクターは多彩な魅力を持っているのか?
持論ではあるが、そこには日本人の国民性としてある(『忠臣蔵』や『源義経』のような)忠義に殉じる死生観や反骨精神へのシンパシーが大昔から精神的な土壌に根付いているからではないだろうか。
自分の信じたモノ。あるいは人。それを信じ抜くために命を掛ける、といった姿勢は、おそらく昨今の現実世界ではあまりピンとこない風潮である。
だからこそ、そういった信念の物語を神話や昔話、はてはマンガやアニメーションという媒体でもって追体験してみたい、というだけなのだ。
現実世界において、テロリズムはもとより、そもそも争い合うこと事態がいけないことであるのは百も承知である。
だからこそ、フィクションにおいてあくまで現実とは切り離されたものという見立ての上で、娯楽としての活劇を観るのである。
現実とフィクションをごちゃまぜにして、争うことそのものを完全に否定してかかるならば『仮面ライダー』や『戦隊ヒーロー』、さらには『プリキュア』や『アンパンマン』だって非難の対象となってしまう。
「それはそれ、これはこれ」なんていう区分けをしていると、それは『駄々っ子の論理』となり、つまりは話が前に進まなくなる。
日本のアニメ、そして日本のアニメファンの最も良いところは『娯楽の世界観を現実世界に持ち込まない』ということを無意識下の共通理解として、相互的に承諾できている点である。
だからこそ、『ワンピース』のサンジはくわえタバコのままアニメに登場するし(ヨーロッパではアメ玉に書き換えられたりする)、
『シティハンター』の冴羽獠だって平気で『もっこり』できるのである(海外ではアダルトな部分が書き換えられ、なぜ獠が香に叩かれているのか理解できない部分が多々ある)。
規制が厳しくなるということは、作家性が削られた作品しか観ることができなくなるということを指す。それはつまり、あらゆるジャンルの文化の衰退を意味することになっていく。
「戦争モノの悪役がカッコイイ!」
と、堂々と言える社会というのは、じつはまっとうな自由が保証されている社会だとアニシエは思っている。
レーティングという、成長に見合った段階的な規制は少なからず必要だとは思うが、成人した人間が自分の意志と責任でもって自由に作品を選べる社会でなければ、多様な価値観も個性も生まれるはずがない。
以上「悪役がカッコよくて何がいけない?」というアニシエ的な考察でした。
なにやら壮大な話になってしまったので、元に戻しましょう(笑)。
◆なんと言っても貴重な親子共演! 声優と個性的なキャラクター。
2018年現在では、実現不可能なキャスティングである大塚親子の共演が楽しめる作品としても貴重なタイトルである。
大塚明夫さん演じるアナベル・ガトーとの直接のやり取りはなかったものの、やはり渋い声優ファンとしては嬉しいキャスティングです。
大塚親子がもっともキャッチアップされた作品となると、晩年ではPS4のゲーム『メタルギアソリッド4』が挙げられるが、とうぜんアニシエはこのゲームも親子共演という理由で(それとファミコン時代からシリーズファンとして)即購入し、エンディングでの共演を観るために、かなり頑張った。
主人公であるコウ・ウラキを演じたのはドラゴンボールのベジータで有名な堀川りょうさん。
プライドが高い実力者を演じる機会が多い堀川さんですが(『銀英伝』のラインハルトなど)、ヒヨッコ新人パイロットという役柄を見事に演じているあたりはさすがです。
本作におけるキャラクターでは、その他に意地悪な上官として登場するベルナルド・モンシアが、なにげにお気に入りです。
口も態度も悪いけど、腕前は一流であり、主人公のコウがいなければガンダムを任される人材であったほどである。
ひょうきんな面とシリアスな面をきっちり線引して生きているタイプであり、正規の軍人像として、なんとなくリアルに存在していそうなタイプである。
じっさい、百戦錬磨であるモンシアがガンダムを操縦していたとしたら、序盤の戦局はかなり違ったものになっていったのではないだろうか。
……などという妄想を抱いてシュミレーション・ゲームである『ギレンの野望』では彼をゼフィランサスへ搭乗させて遊んだりしていました。
ガノタなら絶対やってる(はずの)妄想プレイである。
そしてヒール好きなら忘れてはいけないキャラクターであるシーマ・ガラハウ。
彼女の直情的で利己主義的な生き様は嫌いではない。悪者は、これくらいすがすがしく悪くなければかっこよくない。
そして本作を忘れることのできないガンダム作品として不動の位置にいたらしめた人物こそ、
ヒロインのニナ・パープルトンであろう。
自分が担当しているガンダム試作1号機と2号機の計画にしか興味がないメカオタクとして登場するが、その後のあれやこれやでコウとの恋仲が進展する。
だが、物語が終盤に進むにつれて、なんと過去にアナベル・ガトーと恋仲であったことが発覚する。
(・∀・)なぜ最初に2号機を奪われたときに気づかない?
というツッコミをぐっと堪えながらもストーリーを追っていくと、なんと! 土壇場でコウを裏切ってガトーの味方となってしまうのである!
「そうか……ニナはガトーを選んだのか……」
誰もがそう思う結末である。しかしまあ、それはそれで仕方がない。己の信念を貫こうとしている男は、やはりカッコイイものだし応援したくなる気持ちもわからないではない。
こうして恋人を奪われたカッコ悪い主人公と、筋の通った戦いを挑むイケメン・ライバルとの一騎打ちがはじまる。
しかし、この決着はつかないままに物語は終わりをむかえるのである。この辺の経緯は、やはり直接本編を観てほしいので詳細は割愛する。
そしてエピローグ。
降格処分となったコウが北米のオークリー基地へと赴任する。
そこでは相棒のチャック・キースが出迎え、コウの顔に笑顔が戻る。
さらに視線を移すと、そこにはニナ・パープルトンの姿が……。
少し戸惑いながらも、意を決したようにコウへ笑顔を向けるニナ。
ここで物語は終わる。
……ある意味、かなり恐ろしい終わり方である。
発売当初は、視聴後に誰もが身悶えしたという(まさに)衝撃のラストシーンでもある。
この先、これ以上の不可解で不条理なラストカットを描くアニメーション作品は誕生しないだろう。
ここまでネタバレなレビューを書いておいて、なんなのだが、まだ観たことがない人には、できれば何も知らずに本編を視聴して皆と同じように身悶えしてほしい伝説のラストカットである。
「もう読んじゃったよ!」と言われる方もいるだろうが、大丈夫。あのラストシーンは文章で説明したくらいでは消えないほどのインパクトがある。
◆まだまだあるぞ! 見応え充分な迷言集。
こうして見所を抜き出していくと、かなりのボリュームがある『星屑』であるが、最後はガンダム・シリーズを楽しむ上での定番である、迷言をピックアップしておこう。
使い方のヒントも同時に載せておくので、隙あらば同級生や同僚へぶちかましてやってほしい。
コウ「オムツ持参でお供します」
モンシアの「ちっ。ふたりも小便小僧はいらねえよ」というセリフを受けて、返した言葉。
シーマ「よりどりみどり」
シーマが出撃したさい、連邦軍艦隊のノロマな動きをみて言うセリフ。
圧倒的に相手より優位なポジションから獲物を狙うときに使える言葉。
シーマ「なんだありゃ? バッタか!?」
フルバーニアンの機動性に驚くシーマの言葉。とくにバッタのような挙動ではない。
ガトー「ソロモンよ、私は帰ってきた!」
星の屑作戦のはじまりを告げるセリフ。このあとガトーは2号機の核弾頭を発射して、連邦軍の観艦式をめちゃくちゃにする。
ガトー「なんと他愛のない。鎧袖一触とはこのことか」
ガンダム2号機の核弾頭により圧倒的な戦果を目の当たりにしてガトーが言ったセリフ。
鎧袖一触(がいしゅういっしょく)とは、鎧の袖がすこし触れただけでも相手を打ち負かすことができるくらい余裕の勝利、という意味。
◆総評。
『ファースト』から『ゼータ』までを繋ぐミッシングリンクとしても重要な作品だが、
なによりガンダム・トークにおけるセリフの使用率がかなり高い作品でもあるので、誰かがセリフを口ずさんだときに反応できるくらいには視聴しておきましょう。
『ガンダム』という作品を知る上で欠かせないタイトルです。「必修」と言っても過言ではないでしょう。
どんな媒体でも構わないので、まだ視聴されていないガンダム好きは、ただちに観るべし!
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