評価:★★★★(75)
TITLE |
機動戦士ガンダムF91 (きどうせんしガンダム・エフ91) |
DATA | 1991年 |
目次
◆あらすじ。
宇宙世紀0123年。月の周辺に新設されたフロンティア・サイドのコロニー、フロンティアIV。その内部にあるフロンティア学園では学園祭が開催され、いつもと変わらぬ平和な一日が過ぎようとしていた。
そんな中、フロンティアIVに近づくMS部隊の姿があった。彼らの名は、クロスボーン・バンガード。庶民のための真の貴族による支配主義「コスモ貴族主義」を標榜するマイッツアー・ロナが創設した武装集団に所属するMSだった。
クロスボーン・バンガードのMSはフロンティアIV内部に潜入し、迎撃する連邦軍MSとの戦闘によって、平和なコロニーは一転して戦場と化していく。戦火の中、フロンティア学園の生徒であるシーブック・アノーは、幼なじみのセシリー・フェアチャイルドら学園の仲間と共に、シェルターへ避難しようとしていた。しかし、死地を乗り越え、ようやく宇宙港に辿り着いたシーブックたちの前に現れたのは、クロスボーン・バンガードのMSだった。彼らの目的は、ロナ家の血を引くセシリーを連れ帰ることにあったのだ。迎えに来た兄と共に友人たちのもとを去るセシリー。その後、脱出したシーブックたちはスペースボートでフロンティアⅠに辿り着いていた。
フロンティアⅠでクロスボーン・バンガードの追撃を逃れた練習艦スペース・アークに助けられたシーブックは、そこで母親が開発していた新型MSF91ガンダムと出会う。しかし追撃の手はついにスペース・アークにも及び、シーブックはF91で出撃。初戦闘ながらクロスボーン・バンガードのMS部隊を退けるのだった。
その頃セシリーは、ロナ家の女として生きることを心に決め、フロンティアIVで行われるコスモ・バビロニアの建国式典に参加しようとしていた。建国式典の前夜、コロニーに戻り、セシリーと再会するシーブック。しかし、彼女の決心を覆すことはできず、再び離ればなれとなってしまう。
そして、再び始まるクロスボーン・バンガードによるフロンティアⅠへの侵攻。そこで、敵と味方という立場になってしまった二人は、それぞれがMSパイロットとして戦場で再会する。しかしその進行作戦の裏ではセシリーの父である鉄仮面の巨大な陰謀が進行していた。
離ればなれとなったシーブックとセシリーは、再び通じ合うことができるのか? そして、鉄仮面が企てる陰謀の正体とは……?
◆10周年の節目に作られた『ガンダム』
どこから数えての10周年かというと、『機動戦士ガンダム(ファースト)』の劇場公開からの10周年である。
ややこしいですね。でもまあ『節目』という理由を持ってして新作が作られるのであれば、ガノタ(注:ガンダム・オタクの略称)にしてみれば、それだけ新しいガンダムが観れるのだから、どんどん『節目』を作って新しいガンダムを観たいものである。
劇場版のガンダムとしては『逆襲のシャア』のあとに公開された作品である。
節目というだけあって、これまでの長きに渡る連邦VSジオン、あるいはアムロVSシャアという戦いに終止符が打たれた前作から、さらに時代が一周りした、宇宙世紀0123年が物語の舞台となる。
かつての英雄の面影も薄れ、ガンダムという単語さえ忘れ去られようとしている時代でもあった。
そうは言ってもジェガンは立派に現役稼働していますけどね。
◆根底にあるのは『脱出劇』
民間人として、とつぜん戦禍に巻き込まれてしまった主人公のシーブック・アノー。
武力行使とともに宣戦布告を行う『クロスボーン・バンガード』と連邦軍との戦いから、友人とともに避難することとなる。
戦闘区域から逃げる途中で、無謀にも敵に銃を向けた友人が不運にも死んでしまう。
その死に方は、あまりにも唐突であり、劇的な演出などは一切ない。
戦場では、(とくに深い意味も意義もなく)ふいに誰かが死んでしまうということを描くことによって、そこに戦争のリアルな恐ろしさを垣間見せる手法を、本作ではこれでもか、というくらいにみせていく。
逃げなければ、生き延びることができない。
そう思わせる演出にはかなり力がこめられているように感じられた。
クロスボーン・バンガードの進攻には、もうひとつの目的があり、シーブックの幼馴染であるセシリー・フェアチャイルドを最高指導者であるロナ家へ迎えあげるためでもあった。
本作では、主人公が能動的に戦争へ参加していくことはない。なぜなら根幹にあるのは脱出劇だからである。それゆえ、ジオンとの抗争を描いていた頃(宇宙世紀にしておよそ30年前)のように、若者たちが政治的闘争へ傾倒していくことはない。
時間の都合上なのか、あくまで原点回帰にこだわった結果のストーリーなのかはわからないが、土壇場にきて、ようやく敵の本体を叩かない限り抜け出せない状況になったから、親玉を叩きに行くという展開になる。
(※補足:本作の当初の企画はテレビ放送での1クール、つまり12話での物語になる予定だったらしい)
◆結果的に勧善懲悪だが、敵の言い分にも一理ある。
本作で登場する『クロスボーン・バンガード』。彼らは国際民主主義の政治腐敗に業を煮やし、
コスモ貴族主義という、庶民を導く指導者の必要性を訴えるための反乱をおこす。
よくある『正義のための戦争』という構図であるが、その最高権力者であるマイッツァー・ロナは、なかなかに弁も立つし、言っていることはある側面では理解できる部分もある。
「領民が生産を担当し、侵略者への立ち向かうのは貴族の役目である」というような意図の発言をしていることから、決して甘い汁を吸うだけの権力者ではなく、その責任と義務を果たすことに己の誇りを持ちうるタイプの人間である。
これだけ聞いていると、それはそれで社会システムとしては悪くはないんじゃないか、という気もしてくるが、問題はこれらの社会が形成された後である。
何が言いたいかというと、常に高貴でいられるかどうかは、人間の行う所業であるゆえにわからない、ということだ。
初代がどれほど清く公正な主義のもとに世界を統べたとしても、その下に続く次代の指導者たちが全員同じように優れた統治をする保証などはどこにもないのである。
一世代……つまり反乱を高尚な理由で起こした人物と、その後の世代までそれが存続するかどうかは別の話である。
一見すると耳触りの良い謳い文句に聞こえる新しい主義というものの大半は、結局のところ年月という抗いがたい毒素によって(対抗する連邦政府のように)腐敗の道をたどってしまうのかもしれない。
と、そんなことを考えさせられた。
◆圧倒的な映像美。そしてときどき手抜き。
映像のほとんどは、当時の高水準を維持している素晴らしいクオリティである。
冒頭から、モビルスーツという巨大なロボットがスペース・コロニー(=宇宙における人々の居住空間)を蹂躙していく描写は、そのサイズ感にリアルな重量感を増して演出されていて、これまでのガンダムの中ではもっとも、一般市民からのリアルな視点で戦闘シーンを描くことに成功しているのではないだろうか。
その反面、物語の中盤を少し過ぎたあたりで急に粗雑な描写になってしまうときがあったりして、ちょっと残念でもあり、勿体なくもある。
担当しているアニメーターの質なのか、予算の都合なのかは知る由もないが、できれば徹頭徹尾、高クオリティを維持してほしかった。
物語が佳境にはいると、まるで温存していた予算を放出するかのように大迫力の戦闘シーンが展開される。
『ZZガンダム』と『逆襲のシャア』時代に、大型化の一途を辿っていたモビルスーツ開発も、この時代ではよりコンパクトで高出力な機体開発が行われている。
老朽化した大型のジェガンでは入り込めないような場所も容易に侵入できる最新鋭のクロスボーン・バンガードのモビルスーツの出現は、そのまま新時代のガンダムを物語る象徴的なシーンとなっている。
こうした細部にまで徹底してこだわって作られてる作品だからこそ、本作は今なお根強い人気があるのだろう。
多少、回りくどいシーンもなくはないが、それを帳消しにして余りあるハイクオリティな映像美である。
◆とはいえ、やはり出番が遅い。
まったく新しいガンダムの世界を2時間という枠内で起・承・転・結と描いていくのは、とても大変な作業だとは思う。
当初の企画がTVアニメとしてスタートしているということもあるのだろうが、それにしても、F91が登場するのが1時間近く経ってから、というのはロボットアニメとしては遅すぎるような気もする。
もう少し前半の作り方をブラッシュアップして、後半の戦闘シーンやセシリー、アンナマリーのエピソードを深めてもよかったのではないか、と思ってしまう。
わりと重要なシーンやエピソードが、かなりあっさりと進んでしまうので、うっかりしていると大事な伏線を見落としてしまったりする。
まあ(アニシエを含む)ガノタは一つの作品を何度も観る習性がゲノムレベルで刻まれているので、べつに問題はないのだが、たとえばガンダムをよく知らない人に対して、
「このガンダムはまったく新しいストーリーだからシリーズの前後を気にせずに視聴できる珍しい作品だよ」
という紹介の仕方も、あまり大声では言えないくらい、中身が濃いのが難点ではある。
それと、軽く触れておく程度にするが、本作のもう一つのテーマとして『家族』というものがある気がする。
主人公シーブック、ヒロインのセシリー、どちらもそれぞれの家族の中に含まれている自分というものを通して世界を感じ、それを捉えることで次の世代としての希望を託されていることを知っていく(あるいは気づいてゆく)。
このテーマに関しては物語を見ていれば(珍しくも)明確に表現されているので、観る人それぞれの感じ方で受け止められる部分だと思われる。
◆傀儡としての悲劇。鉄仮面。
己の脆弱な意志との戦いのために、ベラ・ロナ(=セシリー・フェアチャイルド)の父であるカロッゾ・ロナは自ら鋼鉄の仮面を被り『鉄仮面』と自称するようになった。
仮面は彼にとって、貴族階級の中で最高指導者の娘婿としてさらされるプレッシャー、さらに軍部の最高指導者として兵を率いていかなければならない重圧に耐えるために必要な処置であったということを、ほのめかしている。
そしてなにより、間男であるシオ・フェアチェイルドに妻であるナディア・ロナを寝取られてしまったという屈辱が、彼の本来持っていたまっとうな精神を崩壊させてしまったのだろう。
みずからすすんで強化人間となった鉄仮面は、その何ものにも動じない強靭な精神力を持って人間のみをターゲットに殺戮する兵器『バグ』を開発する。この、人を切り刻むことだけのために作られた恐るべき無人兵器で、テストと称してスペース・コロニー内で大量虐殺を試みる。
彼のこうした非道の所業も、世界統一には必要な『悪』だとして容認する、クロスボーン・バンガードの最高指導者にして義理の父マイッツァー・ロナの唱えるコスモ貴族主義というものも、実は相当に胡散臭いものである。
◆総評。
ロボットアニメとしては傑作の部類。
あれこれ個人的に注文が多いレビューとなったけど、なにはともあれロボット好き、ガンダム好きであれば全力でオススメできる作品である。
というか、ロボットやらガンダムやらが好きな人で観ていない人はいないだろう。
『ガンダム』の予備知識が少なくても観れる。
物語そのものは本作で完結しているので、ガンダムに対して深い予備知識がなくても、それなりに楽しんで観れると思います。
珍しく勧善懲悪な、シンプルなストーリー構成なので、視聴語に「結局誰が(どの勢力が)勝ったわけ?」という混乱はしないで済みます。
ガノタは忘れがちだけど、こういった結末がハッキリ分かることって、以外に大事ですよね。
それと最後に。
森口博子さんが歌うテーマソング『ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜』は、ガンダムシリーズの中でもかなりグッドな楽曲です。
とても印象に残る曲でもあり、また作品の雰囲気にぴたりとマッチしています。
ぜひ最後のスタッフロールに流れるこの曲もしんみりとお楽しみください。
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主題歌『ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜』by森口博子
エンディングにふさわしい楽曲。視聴だけでもどうぞ。